山百合寺から舞い降りる銀の蝶
と言いたかったところですが、私の酔った後の悪い癖が出ます。

中年がやってはいけないことベストスリーに入るであろう「泥酔後の入浴」であります。
ここアパホテル北上店には、一階に男専用の大浴場があるのです。
残念なことにサウナはありませんでしたが、贅沢は言ってられません。
湯あたり覚悟、倒れてもいいので入ることにします(笑)
時間帯(平日午後11時)が良かったのか、貸切です。


カランも5個ほどのこじんまりとした大浴場ですが、浴槽は十分な大きさでした。

このように縦に長い浴槽です。
酔った勢いで5mの潜水を繰り返します(爆)
そして何度目かの往復の際、浴槽の縁にデコと右手を強打。
その後しばらくの間、右手からは青あざが消えませんでした(自爆)
酔った後に体力を使うと決まって翌朝は二日酔いになったものでしたが、セイゲニストになり、肝臓の超強力化に成功した私は、翌朝も朝ご飯をかっ喰らいたいくらい元気に起きるのでありました(半嘘)
さぁーて。シャワーも浴び、ひよっこも堪能。
8時半です。
身支度を整え、いざ中尊寺(以下MRT)!(笑)
北上から平泉までは、東北自動車道を使えば30分ほどで行ける距離ですが、せっかくなので町の風情というか、旅情をかきたてるために国道4号を再度南下する道を選びました。
思えばこの選択が
途中、完全閉店セールのコンビニで、覇王はおにぎりと飲み物、私は半額祭の栄養剤をゲト。
そして我々はもちろん車内でモシャモシャ・グビグビなんて無粋なことはしませんよ(爆)
コンビニ駐車場でおにぎりも飲み物も一気飲み(笑)、ゴミはその場で捨てていくスタイルです!
車内で昨晩の続きその子の会話や、メッセンジャーのスレッドの削除の仕方などをアドバイスしていたら、あっという間にとうちゃこです!!

昨日は「いきなりステーキ」でしたが、今日は趣向を変え「いきなり天ぷら」です!!
少々苦しいですな。

関山 中尊寺 いわゆるミドル・リスペクト・テンプルです!(笑)
中尊とは、奥州の中心に位置する という意味とのことです。
中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は釈迦如来。寺伝では円仁の開山とされる。山内には中尊寺本坊のほか、17か院の子院がある(大徳院、地蔵院、瑠璃光院、願成就院、金剛院、積善院、薬樹王院、真珠院、法泉院、大長寿院、金色院、釈尊院、観音院、常住院、利生院、円教院、円乗院)
覇王ブログには私は再訪と書かれておりますが、実は再訪(二度目という意味ならば)どころではなく、三度目、いや、五度目だったかもしれません。
初訪は免許を取り立ての頃でありまして、その当時はまだ讃衡蔵もなく、古い建物の中で藤原三代のミイラ発掘修復作業のフィルムを上映していたものです。
今回その当時の8ミリビデオを発見し、ヨウツベに上げてみましたのでお暇な方はご覧ください。
当時は撮影禁止などと言った貼紙もありませんでしたし、ビデオカメラを持ってる人もほとんどいなかった時代でありますので、何卒ご容赦ください。もし公開に問題があればすぐに削除致します。
このフィルム内には棺の中に、藤原氏の遺体を包む大量の石綿が映し出されています。

昭和25年当時、石綿の発ガン性などは確認されていませんから、マスクをつけている方もおられれば、完全に口も花も丸出しの方もおられます。
その後の健康状態が心配になる映像でもあります。


それはさておき、私が小学生の時分には街中の至る所にテレビなどの粗大ゴミが棄ててありましたし、悪ガキ町内代表みたいだった私は友人とそれらを次から次に石で叩き割ったものでした(大反省)

拾ってきた画像のテレビは比較的最近のものですが、私達が壊した回ったのは、家具調の「脚付き」テレビでした。
もちろんチャンネルが抜けるタイプです(笑)

そうそう、↑こんなのでしたな。
当時のブラウン管には内部に水銀が使われており、叩き割ることでそれらが空中に舞い、それを吸い込むことで人体にかなり有害であるということを知ったのは大きくなってからです(汗)
そういえばもう一つ。
小学校の天井などにも先の石綿(アスベスト)らしきものが使われていました。

それらも長~い定規や、ホウキなどでこすり落とし、その粉を真下でたっぷりと吸い込んだと思います。
ですので、ここをお読みの皆様、私とはそろそろお別れでございます。
もはや「明日、best!! 」などと希望的観測、脳天気なことは言っていられません(爆)
まもなく当時の悪さが結果となって現れる頃であります。
それまでは一生懸命ここを続けて行く所存ですので、どうぞ見守って下さい(爆)
脱線しまくりです。
話を本題に戻しましょう。
なんと覇王は意外にも中尊寺を未訪でした。
日本国中、ほとんどの観光地に訪れておられると思っていたので、今回が初訪と伺ったときは本当に驚きましたね。
初訪の覇王と、ズルはせずにちゃんと月見坂入口より一歩一歩参道を登ることに。
弁慶堂や不動堂などをじっくりと眺めながら金色堂を目指しますが、どうやら覇王にはそんな構造物よりも、境内にたくさん自生している「山百合」に興味があるようでした (核爆)
弁慶の存在そのものに関しては、私もかなり疑念を抱いておりますので、その点においては覇王と感性が一致します。
山百合に関しても、やはり同じ山菜トラーとして、見た目の美しさは二の次、その金銭的価値に共感します (笑)
今回も花弁の大きさから、どのくらいのサイズの球根が地に埋まっているのか、ずいぶんと勉強させていただきました (爆)
いつその勉強の成果が出るかは永遠に未定です(爆)
月見坂を歩いている最中に「この杉の木、夫婦杉みでったの! これに『夫婦杉』って書いて看板立てて賽銭箱おけば儲かるのにの!!! わはは!!!」という人は間違いなく覇王オンリーだと思われます (核爆)
こまち針の名の由来についてはまさに目からウロコでしたし、参道に生えている木の名前まで教えていただきましたよ!!(爆)
私も雑学に関してはかなり知識的に豊富と自負しておりましたが、この方の前では型無しであります!!


ボヤッとしているすきに、あっという間に手渡される拝観チケットであります(感謝笑)

まったく講釈不要の「金色堂」(覆堂)です。
晴天、雨天、そして曇天に訪れても常に独特のオーラが鞘堂とともにここを覆い尽くし、それぞれに格別の雰囲気を醸し出す絶対的な※国宝建造物第1号であります。(※同日に指定された建造物が他にもあるため、北を1と見た場合)
どこぞのお国の方が気安くパシャパシャやったりする懸念もありますから、ここの撮影禁止は致し方なく思います。
日本の宝を薄っぺらく見て欲しくはありませんからね!!

讃衡堂です。
中にはギッシリと国宝などが納めらてれおりますが、当然ノーフォトなのでした(泣)
ここは部分的にでも撮影可にしてもらいたいと思うのですが・・・
私のようなブロガーの端くれでも館内すべて撮影禁止はイタイです。
裁判所みたいにスケッチなら認められるのでしょうが、残念ながらそんな画力が私にはもちろん、おそらく覇王にもありません(爆)

とにかく早足なんですよ (爆)
その後は私と同じ義経ファンと思しき覇王にぜひお見せしたかった「高館山」へお連れします。
鶴岡市にも心霊スポットとして有名な「高館山」はありますが、ここは「たかだて」ではなく、「たかだち」と読みます。
私がここを初訪したのは、ちょうどNHKでタッキー演ずる「義経」が終わった頃でした。
まぁ、ミーハーと言われたらそれまでですが、やはり義経さんの終焉の地と呼ばれるところを一度は訪れてみたかったのであります。
しかしながら、現在の高館山の位置は、義経さんが亡くなった頃に比べるとかなり川により侵食され、場所が変わってきているといいます。
もしかすると義経さんの亡くなったと云われる※「衣川(河)館」は全然別の場所であった可能性もあり、その真偽の程は後年の研究を待ちたいと思いますが、折しもこの日、義経堂の裏側の急峻な斜面で、ボランティアらしき人々による発掘調査が行われておりました。(※現在のところ、中尊寺北にある接待館遺跡がそれらしいとの説あり)
このような地道な調査が歴史をひっくり返すような発見に繋がったりしますので、地元のじっちゃ、ばっちゃ方、熱中症に気をつけて発掘頑張ってけらっしゃい。

受付の方から「秋田ナンバーですが、大雨被害はありませんでしたか?」と聞かれ、感激す。
てっきり「道端に車止めないで」と怒られると思ったので (爆)

この碑は比較的新しいものです。

油断大敵ですぞ(爆)
ちなみに平泉を訪れた旅行者のアンケート調査によれば、もっとも印象に残った風景として、「高館からの眺望」が断トツの第一位だそうですよ。

この義経像は、義経堂が建立された1683年の作とのこと。
そのわずか6年後に、当時の名ブロガー(爆)バショー・マツオがここを訪れています。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり(杜甫)」
の詩を思い浮かべながら、中学校の国語教科書などで殆どの人が一度は詠んだことのある名句「夏草や 兵どもが 夢の跡」をこの地で詠むわけですね。
おそらく芭蕉さんがここを訪れた時(ちなにみこの時46歳、若造やんけ(爆))は、まだ義経堂もできたてピカピカで、義経像も今より遥かに色鮮やかだったことでしょう。拝観料はいくらだったものか(爆)
芭蕉さんは元来義経ファンだったといいますから『奥州の地になにやらおニューの義経スポットができたぞ、曽良、トゥギャザーしねぇ?』 的な発想は間違いなくあったと思われますので、そんな意味においては私と同じミーハーだったのかもしれませんね(爆)

何度訪れてもその風景と、歴史的背景に感動する場所なのであります。。。。
さて、気付けば時刻はすでに午前11時を過ぎていました!!
大変な事態なのであります。
これではどうやっても北上まで北上して(ややこし)、岩鷲さんにシャッター長などできるはずがありません!!
というか、ハナ肇からもうそれはあきらめていたのでありました(笑)
MRTへ向かう車中で、私が余計なことをペロッといってしまったのが運の尽きでした(爆)
その辺の件については覇王ブログに細かく書いてありますのでここでは割愛です!!
というわけで、ここへきてまさかの×味の三平、×岩鷲 となり、お昼はここ「銀蝶」さんに急遽決まったのでありました。

うーむ、ここもいつ見てもその歴史的景観に感動するのであります。
村田英雄の「王将」を別の意味で歌いたくなるような外観であります(失礼爆)
私は4月1日以来の再訪です。
ここは地元旧水沢市民に昔から愛されている名店であります。
(4月訪問の記事はこちら。)
前回はチャーシュー麺で内角をグイッと攻められるようなストライクでしたので、そのことを覇王に伝え、私は両頭の人気という味噌ラーメン、覇王は私の進言通りチャーシュー麺と相成りました。


ここはチャーシューが分厚くて大変美味しいのを体験済みなので、作り手のおばちゃんに「味噌にチャーシューを入れてくれたりなんかできないもんちゃろでっしゃろかいな?」てな具合にお聞きしますが、「うちではそんなことやっとらん」とバッサリでした(泣)
なので どノーマルの味噌であります!!
それでもおんなじチャーシューの刻みバージョンが入っているではありませんか。
本当の意味で心身ともにあたたまる美味しい味噌ラーメンでしたよ!!
覇王もいつも通りラーメンを食べるときは超集中モードなので私は一切お声がけしませんが、一生懸命そのスープや麺を分析しているようでありました!!
この日、この時、店内では中々の事件があったのですが、わざわざここで書くまでもありますまい(謎笑)
しかし、そのことをこの後車内で30分に渡りお互い語り合ったとだけは言っておきましょう。
要するに最近の若い夫婦は、周りへの気配りと言葉の使い方を満足に知らんということです(核掛学爆)
というわけでして、皆様の期待を裏切る?形になったかもしれませんし、誰も期待なんてしていなかったと言われれば「はい、それまーでよー」ですが、岩鷲さんはまたしてもおあずけ、宿題店になってしまったわけでありました。
銀蝶さんを訪れる直前「俺はそういうおばあちゃんが作るラーメンが大好きなんだ」
と言った覇王の言葉が妙に耳に残りました。。
ちなみにかく言う私も鶴岡の「文下食堂」「喜多川」、三川の「とみや」さんなんかが大好きです。
なので、今回の私の不用意な発言も、どこか覇王の心の琴線に触れてしまったのでしょうね。
それならばしかたありません!!!
来期からの店名は「琴線荘」に変更だすな!! (爆)
さて、お腹も満足になった後は、これまた私の軽率発言によりまして、激安スーパーを目指すことに相成ります!!
そう、あそこですよ、あそこ!!!
ほんでもっていつになったらブック・ヴィラ管内に着くのでありましょうか? (笑)
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