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象潟海水浴場~自宅 徒歩(爆)

Category旅行


歩行開始は午前12時半でした。

さいわい酒を入れて電車内で飲んできた水筒にはお茶が入っていました。



加えて非常食として鷹島くんからもらったつまみもありました(笑)

これらを持って4時間(机上の空論)も歩けば家に着くだろうと、まさに高ならぬ鷹を括っていたわけです(爆)



出だしは順調で、すぐに国道7号線に出ました。ここからほぼ漆黒の闇の道をひたすら北上することになります。

順調に象潟を通り抜け金浦へ入ります。




しかしナニブンカナブン酔っ払っています (爆) さっきまでシタタカに日本酒などを飲んでいたのです。
足取りがかなーりふらつきます。しかも酒による脱水効果か、どんどん汗が吹き上げてきます。

水筒のお茶は鳥海登山を思い出し、ちびりちびりと飲んではいましたが、それもあっという間に半分、いやそれ以下になっていました。

国道沿いを実際に歩くと分かるのですが、ことさら自動販売機が少ないのに気づきます。いやほとんどないと言っても良いでしょう。



また車で走っていると気づきませんが意外に道路に勾配があり、上り坂やもちろん下り坂が多々あるのでした。しかも街灯が暗く、雑草がボーボーで足元がほとんど見えないような危険な箇所もありました。途中歩道が途切れることもあり、そんな時は深夜とは言えども大型トラックなどが走り抜ける車道の端っこを歩かなければなりませんでした。
反射材等一切身に付けていないものとしては、これは恐怖でありました。




何故この夜突然歩こうと思ったかというと、もちろん先に書いたような理由もありますが、この日の数日前にペルセウス座流星群があったのであります。
もしかするとこの晩もまだ残りの流星が飛び交うのではないかと淡い期待を持って歩いたと言う理由もあるのです。



(↑の絵は、昨年の12月にハタハタ釣りをしながら見た、なんとか流星群の、それはそれは素晴らしい夜空を描き上げた渾身の一枚 (核爆) この時釣ったハタハタを琴平荘に奉納。

ハタハタと言えば、今回その琴平荘の掛神社長から大変素敵なおみやげをいただきました。

ハタハタ釣りの時に暖を取ってくれとのことで頂いてしまったのがこちら!!



今から使うのが楽しみです。

晩秋のエギングの際も重宝しそうです。

ありがとうございました!この場を借りて深く御礼申し上げます!)



ところがいざ歩いていると満天の夜空に流星は全く流れませんでした (笑)

完全に流れきっていたのでしょうか(爆)

その頃には私の体内の酒も流れ切っていました(笑)

やがて金浦を過ぎ、にかほに入りやっと一つ目の休憩ポイントのローソンが見えてきました。ちょうど深夜3時でありました。ここまで2時間半。思ったより道のりは遠いのでありました。


もちろんナビアプリを立ち上げて家までの距離を測っているのですが、一向にその距離が縮まらないのです(泣)それもそのはず20キロだと思っていた距離は、実はほぼ30キロあったのです(号泣) 10キロ歩いた段階でやっとはじめに思っていた残り距離20キロになったわけです (爆)




にかほ平沢の街中を歩いている段階ではまだ漆黒の闇でしたが、やがて第二休憩ポイントの西目のローソンが見えるてくるころには、夜が明け始めていました。
早い家ではもう起床する時間でした。




ローソンを過ぎて7号線から右折、市道に入ります。その段階ではゴミ出しをしたり玄関前を掃除したりするお年寄りが多くなってきました。

きっと朝早くから「こいつは何で水筒なんか持って家の前歩いてるんだ?」「不審者か?」などなど様々に皆さん憶測を巡らしたことでしょう。

実際自分のテイは半ばそんな感じでした。(笑)


西目に入った頃にはもう足にかなりのダメージがありました。何度となく止まって自分で足をマッサージします。

グレートトラバースの田中陽希君が、アスファルトの上を歩くと一歩一歩がダメージになると言っていましたが、正にそれを身をもって体験したからカタチになりました。



その一歩一歩の振動が足の裏からふくらはぎ、膝、腿、そして股関節。次第に激しい痛みとなって伝わってきます。

鳥海山往復の距離ぐらい楽勝と思っていましたが、山道を登る筋肉とアスファルトの道の上を歩くときに使う筋肉とでは全くその部位が違い、その疲労感も全く違うのでした。



高校生の時に毎年約20数キロ歩く強歩大会というものがありました。今回もそれを思い出し、あの時は頃は体も鍛えずタバコばかりふかしている怠け者が歩いたので大変だったのだ。今私は歳は重ねたが山に登ったり、毎日ハードなエクササイズをこなして体を鍛えまくっている。

これ位の距離なら歩けて当然!という自負があったのです。

しかしそれは完全なる過信だったのであります。


過信だった証拠に、その日履いていた靴はなんとGUで1,000円で売っているスリッポンだったのでありました(爆)

せめて底が少し厚いスニーカーならばここまでの足裏へのダメージはなかったものと思われます。しかしこの時はほとんど裸足に靴下を履いて30キロ歩いていたようなものであります(核爆)

そんな過酷でアホな環境下でも、歩いてばかりでは到着がすっかり遅れてしまいます。そう計算した私は途中数キロほどはしっかりと走ったのであります。走った方が足には楽でした。また長い距離を走っても心拍数もそれほど上がらなかったので、明日からは歌でも歌いながらジョギングしようかなと思う位でありました(笑)

もちろん翌日からは極度の筋肉痛で数日間運動すらできませんでしたが(笑)

本荘市内に入ったのはもうすっかり日も昇った午前6時位。普段なにげに車で通っているところを、棒のような足二本を引きずり歩くのは心身ともにかなり苦痛でした。
しかしもうとっくに起きたであろうかみさんに電話して「迎えに来てくれ、ヘルプミー」と言うのは、一人グレートトラバースの大失敗なりますので死んでも出来ませんでした。



もはや私を支えていたのは、単にわけのわからない意地だけでした。やり出したものは最後までやりたい。今まで途中で投げ出してきたものが多すぎる人生だ…。

友達の制止を振り切って歩き出したのだから何が何でも最後まで人の力を借りず達成してやる、そういう意地が私を支えていました。


どうにかこうにかフラフラになりながら自宅に到着したのはちょうど午前7時でありました。




最後の難所、自宅階段を登り玄関に入るや否や、ここ数十年も起きたことがなかったんですが、いきなり両足がつります!(笑)

その後は自分でどうやって寝たかよく覚えていませんが、まさに泥のように眠り、気づいたら昼過ぎでした。お盆で帰省していた長女は、気がついたらもう帰っていました(笑)




先日24時間テレビで林家たいへいさんが100.5キロ走りました。

毎年24時間テレビの100キロマラソンをテレビでチラ見する事はありますが、実はあんなもの大した事じゃないだろうとなかばバカにして見ていたところがあります。途中でゆっくり休んで専属のトレーナーをつけて痛み止めの注射までしてやれば誰でもできるんじゃないか?と。
しかし今年のたいへいさんの走破は心底すごいことだと思いました。



やはり何事も同じ体験を自分が自らしてこそわかることがあるもので、まさに今回私はたいへいさんのわずか3分の1にも満たない距離の走破でしたが、似たような体験をし、改めて彼が凄いと思えたのです。

もちろん私も今回しっかりとしたスニーカーでも履いていればもう少しは楽に歩き通せたかもしれません。それでもやはり30キロという距離は、普段車ばかり乗ってほとんど歩かない人間にはそれなりにきついものがありました。

そして今回歩いてみて、先に書いた松尾芭蕉さんの凄さにも改めて気づきました。

彼らが歩いた頃はスニーカーがあるわけでもなく、もちろん街灯や自動販売機もなければナビもない。道も海に入ったり川を渡ったり、時にはけもの道に入ったりetcと、それはそれは今では想像できないような悪条件だったと思います。正に「一歩」間違えば死と隣り合わせだったろうと想像するのに難くありません。



それを私とほぼ同年代だった芭蕉さんは数カ月かけて約2千キロ歩きました。一日で十里(40キロ)歩くのが当時の平均だったと云いますから脱帽です。
私の苦労とは全く比較にならないし、そしてものすごい健脚です。

象潟で詠んだ名句

「象潟や 雨に西施が 合歓の花」



もしかすると今回私を歩かせたのは自分の意思だけではなく、もっと北へ向かいたいと当時切に願っていた芭蕉さんの情念だったのかもしれません。

実際芭蕉さんはもっと北へ向かいたかったけれども、諸処の事情により断念したという経緯があるようです。

そして皆さんご存知のように、芭蕉さんは象潟から折り返し、その後南下の道をたどります。


まさに私が歩いた道は「ネオ奥の細道」(鷹爆)

芭蕉さんの夢を叶えるミッドナイト・ランブラーだったのでしょうか(転石爆)

いずれにせよこの経験を通して、秋田市内で呑みまくり終電に乗り遅れたとしても、人に頼ることなく自らの足で、時間さえかければ帰って来られるんだということを認識した次第です(爆)

とは言え、もうしばらく酔ってから長距離は歩きたくはありません(爆)

鳥海山に登った方がずっと楽です(笑)


良い子は真似すんな!!(核爆)


おしまいに一句。


「象潟の 友の制止に 合歓(眠)の花 」 イミフ爆
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