鶴岡から御大来秋 再び駅前~ 脱線(爆)

そして、高校の先輩でもあり、琴平荘中華そばの大ファンである速水先輩のお店へと突入します。
前回訪れた際の記事はこちらです!
以前速水マスターは、長距離ドライブが大嫌いなのにもかかわらず、鶴岡三瀬までは楽勝と仰っておられました。
それほど琴平荘中華そばがお気に入りとなられたということなのでしょう!
その速水マスターが日本一うまいと思ったという中華そばを作る方ご本人をようやくお連れできて、私も光栄でした。
駄菓子菓子!
その御大は酔ってフラフラだのーと言いながら、インドカレーをひと啜り、親鶏をひと口、何か飲み物を舐めただけでホテルへご帰還と相成りました (核爆)
滞在時間わずか30分! (爆)
残った私と羽後県氏でこの後何を語ったものか、全くナッシング・リメンバーです!
推測の域は出ませんが、おそらく15期の琴平荘さんへの期待と、私達が社長の口から聞いてしまった悲しい現実への対策方について議論したのだと思われます (爆)
そしてそろそろ我々も帰ろうかとしていると、後ろの座敷から賑やかな集団が「お勘定!!」と言って出てきました。
とりわけ一番賑やかな人を良く見てみると、なんとかっけ社長が宿泊するステーションホテルの社長、小松先輩でありました (笑)
かっけ社長ももう少しだけ留まってくれたら、同い年の社長同士でさぞや楽しい会話ができましたのにね (笑)
その後我々も程なくして退店、二人仲良く肩を並べながら歩いて帰宅の途についたのであります。
最近飲むと必ず徒歩というのは半ば癖になりつつあります(笑)
さて、今でこそ私も周りから酒が強いとか、超左党とか言われるようになりましたが、やはり飲み始めの若い頃は、まるで精神力のかたまりが酒を飲んでいるようなものでした(笑)
確か高校二年の時に、ここに何度か登場している親友H.Mくんと二人でなぜか夜通し焼酎を飲みました。

当時はあまり酒屋に置いてる焼酎の種類もなく、というか、焼酎なんて飲むのは九州の人だけだろ?みたいな認識だったと思います。
ほとんど馴染みのない酒だったことは間違いありません。
自分らが酒屋で買えたのは、↓松田優作のCMでお馴染み、当時出たばかりのトライアングルとか、

ボウイのCMで大ヒットした純、あとは果物酒用のホワイトリカーくらいでした (笑)
行きつけの酒屋(この時点でおかしいが)では、顔パスで売ってくれたものです。
もちろん今のように面倒臭いことはなーんにもありませんでしたし、夜中の自販でビールも買い放題、タバコだってそう。
良いとは言いませんが、敢えて言うなれば「おおらかな時代」だったわけです。
私がその夜に選んだのは「純」の35度でした!(爆)


やはり少し前に放映されていたボウイのCMが強烈でした。
確か当時から25度や20度もあったはずですが、ほとんど同じ金額なら、度数の高いものを選ぼうという当時からの貧乏根性が、この超危険な35度を選ばせたものと思います(笑)
もし純では無く「淳」ならもっともっとヤバかったでしょうね(笑)
これを二人で飲みました。
飲み方なんて全く知りません。
ただひたすらストレートで、お互いのグラスか湯のみにドボドボ注ぎながら、ゴビゴビ飲んだものと思われます。

開始後早々、途中までは記憶にあるのですが、後半から翌朝までのことがこれまたナッシング・リメンバーです(爆)
要するに半ば旧制アルコール中学、もとい、急性アルコール中毒だったのでしょう (爆)
当然二人とも翌日はすごいことになり、生まれて初めて二日酔いでの登校となりました(核爆)
あまりにも酷い二日酔いだったので、二階の教室の窓から下に向かって吐いたことを鮮明に覚えています(笑)
下を歩いてる人がいなくて本当に良かったものです(爆)

確か二日では酔いが治らず、これまた人生初の三日酔いを経験したのもこの時だったかもしれません(笑)
焼酎は大抵何かで割って飲むものだと知ったのは高校卒業後の事でありました(爆)
そして、飲酒しながらの受験勉強もままありましたが、なんとか進学して、大学2年の時です。
気の置けない仲間たちと新宿へ飲みに出ました。
何回か前の記事でも書きましたが、当時は食べ放題の店が爆発的に増えてきた頃でした。

我々も二次会かなんかで、その中華料理食べ放題に行ったはずです。
何を食べたかなんて、一ミリも記憶にないのですが(爆)、その後に辿った悲惨な出来事は一生忘れることはないでしょう。
酒は精神力だけでは飲めません。
貧乏根性は身を破滅させます (爆)
これらを身を以て知ることになりました…

たらふく食べて飲んだ我々仲間御一行様は、新宿発の終電に乗りました。
目的地は今宵の宿泊先、世田谷代田の友人宅です。
乗った瞬間、終電特有の異様な臭いにまずヤラれます。
そして後から後から詰め入ってくる乗客の多さに第二弾でヤラれます。
ドアが閉まる頃にはほとんど身動き取れなくなりました。
そして、ガタンゴトンと数駅通過したあたりから、私の体に異変が起き始めます (核爆)
目の前のサラリーマンのオッサンの鬢付け油臭みたいなのが、身動き取れない超お腹一杯&超酔っ払いのハタチの若者の鼻腔から、嫌という程吸い込まれていきます。
口で呼吸すりゃ良かったじゃんといった心ないクレームはやめてください (爆)
私は小さい頃から臭いものを嗅ぐ時に口呼吸できないんです (核爆)
しかも!そのオッサンも相当飲んでいるらしく、透かしゲップなのでしょうか、時折ものすごい匂いがオッサンの口周辺発せられるのです。
目的駅の世田谷代田まであと少し、確か東北沢駅付近だったと思われます。

私の限界は臨界点に達してしまったのであります。
もう食道までこみ上げてきたらおしまいです。
うかんむりに元なわけです(爆)
いくらほっぺ内に留めようったって、無理な話です。
半消化状態の逆流物の多さったるやありませんでした…
手で塞ごうったって、それすら叶いませんでした。
叶わないから吐くのです (核爆)
それまで身動き取れなかった車内に、女性客の悲鳴と共になぜか直径1メートル程の空間ができていたとです(ヒロシ爆)

そのまま、ヒロシです、ヒロシです、と言いながら立ち去れたら良かったものの、そんなことしたら人道的にもとります。
誰かが読み終えた新聞を投げてくれました。
元を取ろうと頑張って食べた中華料理さんたちは、私を嘲笑うかのように再び私の目の前に現れたのです。
全く不必要な再会です (核爆)
そしてそれを自らが拭き取り、汚物処理し、情けなさと恥ずかしさと苦しさの涙を流していたら、一緒に乗っていた友人がそっと私にハンカチを差し出しこう言いました。
「こんなことでお前の男の価値は下げたりしないからな」
これを聞いた時、今度は目の奥から熱いものがこみ上げてきたのでありました……。
ちなみにこのお話は全て実話で、一ミリも創作していません。
以前地元新聞のコラムに投稿し、掲載されたこともあります。お礼はボールペン2本でしたが…(爆)
その後、乗り合わせた友人達みんなが一緒に後片付けをしてくれて、私は心底良い友達を持ったものだと思いました。
ほとんどの友人が年上だったので、皆すでにフィフティを超えられましたな。
いつか、いつの日かその時の皆さんに会って直接お礼を言わなくてはと思っています。
誰でもとは言いませんが、酒とは歳とともにその飲み方を覚え、適量というものがわかっていくと思うのですが、ことに私はこれ以外にも様々な失態をやらかしているので、これまでの経験を通してかなり飲み方は鍛錬されてきたと思っております。
(ゲロ事件を挙げたらその枚挙にいとまがありませんよ(爆))
まして最近は糖質セイゲニストになったおかげで、肝臓の働きがかなり強くなり、極端に少なくなった糖質分解の余剰パワーをアルコール分解に回してくれるので、以前にはかなり苦しめられていた二日酔いは皆無となりました。
嘘だろ?と思われる方も多いと思いますが、翌日一日寝ないといけないようなことは全くありませんね。
ということを今度ブログに書こうと思いながら羽後県氏と歩いていたら、あっという間にうちに着いておりました(爆)
久しぶりに意図的な大脱線をしてしまいました。
次回は本荘で2番目に儲かっていると店主自ら公言されているラーメン屋さんへ掛神社長をお連れする予定です(笑)
でもあまり人気が出て、踏切事故などが起こっては大変なので、かなり自重して書こうと思います (爆)
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