5/12 はんつ遠藤氏と廻る県内美味しい麺屋さん その7 最終回 麺饗松韻
Categoryはんつ遠藤氏
前日に県内四軒の取材を終え、夜は一平さんでいっぺやり(笑)、残す取材は、今や食べログでは秋田県で最も高評価されている「麺饗 松韻」さんだけとなりました。
約束の取材時間まで少し時間があったので、はんつさんを本荘マリーナにお連れして「ここに時期になるとハタハタ釣りのおっさん達が群がるんですよ。私もその一人ですけど(笑)」なんて話をしたり、自分のオンボロ塾をお見せしたり、少しだけ本荘市内をご紹介。

実は私と会う前に、はんつさんは早起きして本荘市民のソウルフード、「清吉そばや」さんに行かれ、こっそりと朝せぎぢされたそうで。。
さすがフード評論家はんつさん、抜かりなし!
そしてその場では奇跡的な再会もあったようです。
「札幌らーめん部」の代表他御一行様とまさかの遭遇です。
たまたまその日、本荘入りされていた「ばく」さん達と鉢合わせされたそうで、これも不思議な縁ですね。

鉢合わせと云えばその昔、西新宿の裏通りを一人歩いていた際、向こうからヒョロッとした中年の女性が歩いてきます。

近くまで来て眼光鋭く私を睨みます。
なんだなんだ?この刺すような鋭い目つきは?
と思ってその方をよく見ると、その当時かなり有名だった「宜保愛子」さんでした!!
きっと私の背後に”妖怪シケンオトシ”が憑いていて、それが見えたものだと思われます(爆)
私はその時ソニーの関連会社の入社試験の帰り道だったのです。
そしてその会社とはやはり縁がありませんでした。
というよりも、雲の上にあるような会社なのです。落ちて当たり前でした(笑)
雲の上といっても、手が届かないという意味じゃないですよ!
面接会場は西新宿の高層ビルの中の一つで、本当に眼下には雲が見えたのですぞ!
それは霧だろう??
といったツッコミは不要です(爆)
超高所恐怖症の私としては、こっちからあんな会社願い下げでした!!(核爆)

。。。
また脱線していくところでしたなぁ。。
そうこうしている間に松韻さんとの約束の時間です。
開店前の貴重なお時間を頂いての取材開始です。
まずはその前にはんつさんが今回の取材内容と、今後の雑誌掲載予定などについて加藤店主に説明します。

掛神さんが死ぬほど苦手な券売機です(掛爆)
つい癖で撮ってしまいます(爆)

糖質セイゲニストになってからは初の訪問、約一年ぶりの松韻さんでした。
加藤氏は相変わらずの記憶力の良さで、辛うじて私を覚えていてくれたようです(苦笑)

↑ 開店の一時間前ですが、撮影のため一瞬暖簾を出してもらいます。
するとその瞬間を見たんでしょう、通りかかった一台の車が駐車場に入ってきてしまいました(マジ)
お店の内股ゲキカワいスタッフさんが事情を説明され、事なきを得ます(笑)
新潟から青森まで連なる大動脈の7号線の脇ですから、多くの車が通る上、松韻さんのところは信号もあるため、あの瞬間多くの人が「すわっ!もう開店か?」とカン違いしたものと思われます。


定番のこってり(上)
とあっさり(下)
です。
加藤店主は、撮影用にわざわざこの両巨頭を時間差で作ってくださいました。
私も、今でこそこうしてラーメンなど食べられる身分になりましたが、それこそ前回の続きになりますが、和光市から引っ越した頃は劇ビンボーで、19歳での晩酌のつまみは「盛り塩」なんて事もザラでした。 (笑)
和光市にいた時に探した新居は、都内から一気に都落ち(と言えば怒られそうですが)神奈川と東京の境目に近い相模原市でありました。
もっと田舎の方面も探したのですが、さすがに交通の便が悪すぎ(学校まで二時間とか!)で、それではかえって交通費が高くつくので、適度にバランスの取れた相模原に決めたのでした。
家賃はそれまでと同じ諭吉3枚でしたが、なんとこの物件(アパート)は新築だったのであります。これが決め手となりました。
決まると同時に、既出のMTR君にお願いして引っ越しのお手伝いをしてもらいました。
当時私は二輪免許しかなく、大きいものはさすがに運べませんでした。
MTR君はわざわざ自分で手配してレンタカー屋から軽トラを借りてきてくれたのです!
本当に彼には世話になったと今更ながら感謝です。
おかげさまで無事引っ越しも完了した図がこちらです。

これでやっとしばらくの間は落ち着いた生活ができるのでした(笑)
なぜ相模原くんだりまで引っ込んだかについては一旦置いといて、このアパートは小田急線沿いにあったというのが気に入ってました。
最寄駅は相模大野か小田急相模原で、どっちから歩いても20分ほどかかりましたが(爆)
夜になると、たまにロマンスカーがメロディを奏でながら走り去っていくのが聞こえてきます。

ちょっとバイクで走れば近くにはフィッシングパーク(いわゆる釣り堀)があったり、丹沢山系があったりと、自然にも恵まれ、秋田県人としてはなんとも落ち着く環境でした。
一度も行けませんでしたが、小田急相模原駅前には「ストリップ小屋」もありました!!(核爆)
よく宣伝車が回ってきたものです。
なんか今回はすごく真面目に書いてますが、やや、作者もセンチメンタルになっているようなので、どうかこのまま。
さて、このアパートに住み始めてから一年後、秋田から一つ後輩の女の子が上京してきました。
その子は高校の部活の後輩で、平塚市にあるイースト・シー大学(爆)に入学が決まっていました(親の七光り(爆))
で、彼女は学校近く、海老名の女子寮に入寮することになっていたので、私もその近くに住みたいと考え、この相模原に移ったのであります。
なんのことはない、当時二人は付き合っていたのでした (爆)
私が一年先に上京し、彼女がこっちに来るのを待っていたカタチです。
この彼女とはたまに部屋で一緒にご飯を食べたのですが、その際近くの中華料理屋さんから出前してもらったことが何度かありました。
店名は……
ちょっと前なら覚えちゃいるが
30年前だとちとワカラネェなぁ(爆)
いや、昨年くらいまでなら覚えていたのですが…
これを書くのが遅すぎましたね(笑)
…と、ここまで書いてたら急に思い出しました!!
「甲陽軒」といったはずです!!
通称、行幸道路という幹線沿いにありました。
場所は確かこの辺です。

(google Street viewより)
そこの麻婆豆腐が絶品でした。
家でご飯を炊き、甲陽軒から単品を出前してもらい、それを丼にかけ、麻婆丼にして二人でよく食べたものです。

写真はネットから借りてきたイメージです。
とにかく何を食べても旨かったのですが、とりわけこの麻婆豆腐は絶品でした。
ある日その甲陽軒から出前を取ったとき、細かいお金がなくて、私は五千円札を渡しました。
そしてお釣りを受け取り、お店の人が帰った後、いっただっきまーす!と食べようとしてふと手元にあるお釣りを見たところ、あれあれ??
なぜか八千円ほどのお釣りがあるじゃないですか!?
親父さん、どんな手品を使って増やしたんだろう? って、バカ。
もちろんみなさんお分かりのことと思いますが、そうです、出前をしてくれた親父さん、五千円札を一万円札と勘違いして、多くのお釣りを置いて行ってしまったのです!!
私も受け取った瞬間に気づけばまその場でお返ししたのですが、皿を受け取る時にそっちに集中して気づかなかったのであります(痛恨)
食べている間に親父さんが気付いて戻ってくると思いましたが、かれこれ30年取りに来ません(核爆)
私が自らすぐに返しにいけば良かったのですが、劇ビンボーな私はそのお金を天からのプレゼントと勝手に解釈、ネコババしてしまったのでありました…(深謝)
このことが深く深く心に残った私は、できることならその当時もらってしまった余剰分を甲陽軒ご夫婦にご返還したいのです。
しかしお店はかなり以前からなくなってしまっており、この願いを実現するにはもはや「探偵ナイトスクープ」のお力を借りるしかないのではないでしょうか!?(笑)
もしくはここをお読みの方で、当時(1980年代~)相模原に間違いなくあった中華料理店「甲陽軒」のその後をご存知の方、私まで連絡頂けたら嬉しいです!!
ただし、元カノからの「よりを戻そう」という連絡だけはご辞退申し上げます(核爆)
この出来事だけが唯一心残りで、30年経った今でも私の心に暗い影を落としているのです。
あー、それこそ今回ご同行頂いたはんつさん、甲陽軒をご存知ないですか????
というわけで、また松韻さんに話を戻しましょう (核爆)
松韻さんについてはいまさらここで詳しく述べても仕方ないので割愛しますが、今や地元本荘はもちろん、県外から多くのお客さんを呼べる本荘では数少ないお店として君臨しておられます。
店主の加藤氏は一念発起の脱サラしてお店を開かれました。修業先は特にないのですが、香川の大和さんにて勉強されたことは常連の間では有名です。
とにかく研究熱心な方で、私が食べなかったこの一年でラーメンの味が大きく変化しておりました。
特に「あっさり」のスープは劇的に進化しており、加藤氏自ら自信を持っておられるようでした。
この日も超絶シャッター長で「あっさり」を頂いたわけですが、思わず舌を捲くうまさでした。
こってりのうまさもも言うに及ばず。
この日は加藤氏のラーメン作りにおける博学振りもご披露いただきました。
メンマの発酵過程の話から、原価率の話まで!
加藤氏曰く「そばは天ぷらなんか付けたら千円超えるでしょう?でも誰も高いって言わない。でもラーメンはそばより原材料がかかっているのに千円て付けたら高いって言われる」
そうですよねぇ。確かにその通りです。
蕎麦が高尚な食べ物で、ラーメンはそれ以下なんてことは決してないんですけどね。
それだけ庶民の食べ物という価値観による錯覚かもしれませんね。
ちなみに松韻さんのレギューラー麺の麺量は140gだそうです。
この日は二人で食べるだろうと読んだ加藤店主の気遣いにより大盛りなのですが、300gはないと言ってました。
肝心のスープですが、あっさりは豚背骨、鶏ガラ、カタクチイワシなどから取り、こってりは豚背骨、モミジ、豚足、背脂その他たくさんとのこと。
また煮干しスープは火を入れず16時間”軟水”で水出しするとのこと。これでえぐみのない煮干しスープができるというのです。
ここで硬水を使ってしまうと煮干しの形が崩れて中身が出てきてダメだと仰います。
原材料に関しては、メンマだけが輸入もので、それ以外は全て国内産を使用されており、出汁に使う豚もチャーシューのモモ肉もすべて八幡平ポークの桃豚を使用されているとのことです。
だから松韻さんのチャーシューは激ウマなんですね!
ネギはらーめん鷹島さんと同じ前川産の「ぼうずしらずネギ」だそうです。
カエシに使う醤油は主に秋田県産の醤油三種類と、他県産のものを配分を考えながらミックスしているというこだわり振り。
このこだわりこそがあの複雑かつ簡素な独特の風味のラーメンに結実するわけですね!
お話を伺ってつくづくそう感じましたよ!
加藤氏、さすがです!!

こうして全ての取材を終えた我々はいざ秋田空港へ!!
はんつさんはこの後銀座での取材があるそうです!
まあ、私とは違い忙しい方でした。
それにしても二日間取材のお付き合いさせて頂きましたが、二人全く違う人生を歩んでいるようで、実はどこかで似たような生き方が判明したりして、ますますはんつさんに親近感を覚えました。
次回来荘の際は真っ先に「SHUN」さんに行ってもらいますからね!もんちゃん!!
以上、大変長いことお読みいただきましてありがとうございました!!m(_ _)m
次回は、千葉三大ラーメンにてお会いしましょう(核爆)
約束の取材時間まで少し時間があったので、はんつさんを本荘マリーナにお連れして「ここに時期になるとハタハタ釣りのおっさん達が群がるんですよ。私もその一人ですけど(笑)」なんて話をしたり、自分のオンボロ塾をお見せしたり、少しだけ本荘市内をご紹介。

実は私と会う前に、はんつさんは早起きして本荘市民のソウルフード、「清吉そばや」さんに行かれ、こっそりと朝せぎぢされたそうで。。
さすがフード評論家はんつさん、抜かりなし!
そしてその場では奇跡的な再会もあったようです。
「札幌らーめん部」の代表他御一行様とまさかの遭遇です。
たまたまその日、本荘入りされていた「ばく」さん達と鉢合わせされたそうで、これも不思議な縁ですね。

鉢合わせと云えばその昔、西新宿の裏通りを一人歩いていた際、向こうからヒョロッとした中年の女性が歩いてきます。

近くまで来て眼光鋭く私を睨みます。
なんだなんだ?この刺すような鋭い目つきは?
と思ってその方をよく見ると、その当時かなり有名だった「宜保愛子」さんでした!!
きっと私の背後に”妖怪シケンオトシ”が憑いていて、それが見えたものだと思われます(爆)
私はその時ソニーの関連会社の入社試験の帰り道だったのです。
そしてその会社とはやはり縁がありませんでした。
というよりも、雲の上にあるような会社なのです。落ちて当たり前でした(笑)
雲の上といっても、手が届かないという意味じゃないですよ!
面接会場は西新宿の高層ビルの中の一つで、本当に眼下には雲が見えたのですぞ!
それは霧だろう??
といったツッコミは不要です(爆)
超高所恐怖症の私としては、こっちからあんな会社願い下げでした!!(核爆)

。。。
また脱線していくところでしたなぁ。。
そうこうしている間に松韻さんとの約束の時間です。
開店前の貴重なお時間を頂いての取材開始です。
まずはその前にはんつさんが今回の取材内容と、今後の雑誌掲載予定などについて加藤店主に説明します。

掛神さんが死ぬほど苦手な券売機です(掛爆)
つい癖で撮ってしまいます(爆)

糖質セイゲニストになってからは初の訪問、約一年ぶりの松韻さんでした。
加藤氏は相変わらずの記憶力の良さで、辛うじて私を覚えていてくれたようです(苦笑)

↑ 開店の一時間前ですが、撮影のため一瞬暖簾を出してもらいます。
するとその瞬間を見たんでしょう、通りかかった一台の車が駐車場に入ってきてしまいました(マジ)
お店の内股ゲキカワいスタッフさんが事情を説明され、事なきを得ます(笑)
新潟から青森まで連なる大動脈の7号線の脇ですから、多くの車が通る上、松韻さんのところは信号もあるため、あの瞬間多くの人が「すわっ!もう開店か?」とカン違いしたものと思われます。


定番のこってり(上)
とあっさり(下)
です。
加藤店主は、撮影用にわざわざこの両巨頭を時間差で作ってくださいました。
私も、今でこそこうしてラーメンなど食べられる身分になりましたが、それこそ前回の続きになりますが、和光市から引っ越した頃は劇ビンボーで、19歳での晩酌のつまみは「盛り塩」なんて事もザラでした。 (笑)
和光市にいた時に探した新居は、都内から一気に都落ち(と言えば怒られそうですが)神奈川と東京の境目に近い相模原市でありました。
もっと田舎の方面も探したのですが、さすがに交通の便が悪すぎ(学校まで二時間とか!)で、それではかえって交通費が高くつくので、適度にバランスの取れた相模原に決めたのでした。
家賃はそれまでと同じ諭吉3枚でしたが、なんとこの物件(アパート)は新築だったのであります。これが決め手となりました。
決まると同時に、既出のMTR君にお願いして引っ越しのお手伝いをしてもらいました。
当時私は二輪免許しかなく、大きいものはさすがに運べませんでした。
MTR君はわざわざ自分で手配してレンタカー屋から軽トラを借りてきてくれたのです!
本当に彼には世話になったと今更ながら感謝です。
おかげさまで無事引っ越しも完了した図がこちらです。

これでやっとしばらくの間は落ち着いた生活ができるのでした(笑)
なぜ相模原くんだりまで引っ込んだかについては一旦置いといて、このアパートは小田急線沿いにあったというのが気に入ってました。
最寄駅は相模大野か小田急相模原で、どっちから歩いても20分ほどかかりましたが(爆)
夜になると、たまにロマンスカーがメロディを奏でながら走り去っていくのが聞こえてきます。

ちょっとバイクで走れば近くにはフィッシングパーク(いわゆる釣り堀)があったり、丹沢山系があったりと、自然にも恵まれ、秋田県人としてはなんとも落ち着く環境でした。
一度も行けませんでしたが、小田急相模原駅前には「ストリップ小屋」もありました!!(核爆)
よく宣伝車が回ってきたものです。
なんか今回はすごく真面目に書いてますが、やや、作者もセンチメンタルになっているようなので、どうかこのまま。
さて、このアパートに住み始めてから一年後、秋田から一つ後輩の女の子が上京してきました。
その子は高校の部活の後輩で、平塚市にあるイースト・シー大学(爆)に入学が決まっていました(親の七光り(爆))
で、彼女は学校近く、海老名の女子寮に入寮することになっていたので、私もその近くに住みたいと考え、この相模原に移ったのであります。
なんのことはない、当時二人は付き合っていたのでした (爆)
私が一年先に上京し、彼女がこっちに来るのを待っていたカタチです。
この彼女とはたまに部屋で一緒にご飯を食べたのですが、その際近くの中華料理屋さんから出前してもらったことが何度かありました。
店名は……
ちょっと前なら覚えちゃいるが
30年前だとちとワカラネェなぁ(爆)
いや、昨年くらいまでなら覚えていたのですが…
これを書くのが遅すぎましたね(笑)
…と、ここまで書いてたら急に思い出しました!!
「甲陽軒」といったはずです!!
通称、行幸道路という幹線沿いにありました。
場所は確かこの辺です。

(google Street viewより)
そこの麻婆豆腐が絶品でした。
家でご飯を炊き、甲陽軒から単品を出前してもらい、それを丼にかけ、麻婆丼にして二人でよく食べたものです。

写真はネットから借りてきたイメージです。
とにかく何を食べても旨かったのですが、とりわけこの麻婆豆腐は絶品でした。
ある日その甲陽軒から出前を取ったとき、細かいお金がなくて、私は五千円札を渡しました。
そしてお釣りを受け取り、お店の人が帰った後、いっただっきまーす!と食べようとしてふと手元にあるお釣りを見たところ、あれあれ??
なぜか八千円ほどのお釣りがあるじゃないですか!?
親父さん、どんな手品を使って増やしたんだろう? って、バカ。
もちろんみなさんお分かりのことと思いますが、そうです、出前をしてくれた親父さん、五千円札を一万円札と勘違いして、多くのお釣りを置いて行ってしまったのです!!
私も受け取った瞬間に気づけばまその場でお返ししたのですが、皿を受け取る時にそっちに集中して気づかなかったのであります(痛恨)
食べている間に親父さんが気付いて戻ってくると思いましたが、かれこれ30年取りに来ません(核爆)
私が自らすぐに返しにいけば良かったのですが、劇ビンボーな私はそのお金を天からのプレゼントと勝手に解釈、ネコババしてしまったのでありました…(深謝)
このことが深く深く心に残った私は、できることならその当時もらってしまった余剰分を甲陽軒ご夫婦にご返還したいのです。
しかしお店はかなり以前からなくなってしまっており、この願いを実現するにはもはや「探偵ナイトスクープ」のお力を借りるしかないのではないでしょうか!?(笑)
もしくはここをお読みの方で、当時(1980年代~)相模原に間違いなくあった中華料理店「甲陽軒」のその後をご存知の方、私まで連絡頂けたら嬉しいです!!
ただし、元カノからの「よりを戻そう」という連絡だけはご辞退申し上げます(核爆)
この出来事だけが唯一心残りで、30年経った今でも私の心に暗い影を落としているのです。
あー、それこそ今回ご同行頂いたはんつさん、甲陽軒をご存知ないですか????
というわけで、また松韻さんに話を戻しましょう (核爆)
松韻さんについてはいまさらここで詳しく述べても仕方ないので割愛しますが、今や地元本荘はもちろん、県外から多くのお客さんを呼べる本荘では数少ないお店として君臨しておられます。
店主の加藤氏は一念発起の脱サラしてお店を開かれました。修業先は特にないのですが、香川の大和さんにて勉強されたことは常連の間では有名です。
とにかく研究熱心な方で、私が食べなかったこの一年でラーメンの味が大きく変化しておりました。
特に「あっさり」のスープは劇的に進化しており、加藤氏自ら自信を持っておられるようでした。
この日も超絶シャッター長で「あっさり」を頂いたわけですが、思わず舌を捲くうまさでした。
こってりのうまさもも言うに及ばず。
この日は加藤氏のラーメン作りにおける博学振りもご披露いただきました。
メンマの発酵過程の話から、原価率の話まで!
加藤氏曰く「そばは天ぷらなんか付けたら千円超えるでしょう?でも誰も高いって言わない。でもラーメンはそばより原材料がかかっているのに千円て付けたら高いって言われる」
そうですよねぇ。確かにその通りです。
蕎麦が高尚な食べ物で、ラーメンはそれ以下なんてことは決してないんですけどね。
それだけ庶民の食べ物という価値観による錯覚かもしれませんね。
ちなみに松韻さんのレギューラー麺の麺量は140gだそうです。
この日は二人で食べるだろうと読んだ加藤店主の気遣いにより大盛りなのですが、300gはないと言ってました。
肝心のスープですが、あっさりは豚背骨、鶏ガラ、カタクチイワシなどから取り、こってりは豚背骨、モミジ、豚足、背脂その他たくさんとのこと。
また煮干しスープは火を入れず16時間”軟水”で水出しするとのこと。これでえぐみのない煮干しスープができるというのです。
ここで硬水を使ってしまうと煮干しの形が崩れて中身が出てきてダメだと仰います。
原材料に関しては、メンマだけが輸入もので、それ以外は全て国内産を使用されており、出汁に使う豚もチャーシューのモモ肉もすべて八幡平ポークの桃豚を使用されているとのことです。
だから松韻さんのチャーシューは激ウマなんですね!
ネギはらーめん鷹島さんと同じ前川産の「ぼうずしらずネギ」だそうです。
カエシに使う醤油は主に秋田県産の醤油三種類と、他県産のものを配分を考えながらミックスしているというこだわり振り。
このこだわりこそがあの複雑かつ簡素な独特の風味のラーメンに結実するわけですね!
お話を伺ってつくづくそう感じましたよ!
加藤氏、さすがです!!

こうして全ての取材を終えた我々はいざ秋田空港へ!!
はんつさんはこの後銀座での取材があるそうです!
まあ、私とは違い忙しい方でした。
それにしても二日間取材のお付き合いさせて頂きましたが、二人全く違う人生を歩んでいるようで、実はどこかで似たような生き方が判明したりして、ますますはんつさんに親近感を覚えました。
次回来荘の際は真っ先に「SHUN」さんに行ってもらいますからね!もんちゃん!!
以上、大変長いことお読みいただきましてありがとうございました!!m(_ _)m
次回は、千葉三大ラーメンにてお会いしましょう(核爆)

スポンサーリンク
- 関連記事
-
- はんつ遠藤さんと廻る週刊大衆取材アシスタント道中②ふじた 浅舞 (2018/07/24)
- はんつ遠藤さんと廻る週刊大衆取材アシスタント道中①にぼすけ美郷町 (2018/07/06)
- 5/12 はんつ遠藤氏と廻る県内美味しい麺屋さん その7 最終回 麺饗松韻 (2016/07/01)
- 5/11 はんつ遠藤氏と廻る県内美味しい麺屋さん その6 串焼き一平とホモ事件 (2016/06/29)
- 5/11 はんつ遠藤氏と廻る県内美味しい麺屋さん また激しく脱線か?その5麺屋鼓志と放浪記 (2016/06/28)