本荘 東光山と鳥海山ニア遭難事件
Category登山
一昨年、らーめん部の精鋭メンバー数名で、宮城・山形・秋田にまたがる禿岳(ハゲではない、カムロダケ)に登山し、山頂でカップを食べたことがある。
過去記事
実際は激しい雷雨で、山頂からはすぐに退却し、カップは下ってから安全な場所で食べたのだが。

何を血迷ったか、夕方まで少し時間が空いたこの日、近くの「東光山」に急に登ってみることにした。
いや、実はこのとっさの行動には布石があった。
ゴールデンウイークに30年ぶりに会った部活の後輩女子が、数年前から登山に傾倒しており、その数々の投稿をFBでつぶさに見ていたのだ。
少なからず影響されていた。
なにしろその子は高校時代は山などとはかけ離れた、か弱くかわいい女の子だったのだ。
今も当時のまま何も変わらずかわいかったが。
その子が私に言ったのだ。
「まなぶさん、東光山(592m)なら夕方からでも登れるよ」
なんと、登山という本格的なスポーツに、夕方から登れるようなお手軽なものがあるのか。しかも距離的に家からすぐそこではないか。
ならば、最近Billy's boot campの最もきついプログラムもこなしているし、体力試しに登ってみよう!!
と、私の思考回路は昔から実に単純なのである。
朝、そのビリーを軽くこなして、1Kg絞り、その疲労から回復してすぐに準備。
山頂で食べるべく、ブランパンとハムを買い、それに1リットルの水。
これらをウェストバッグに詰め込み、小雨の中いざ東光山へ。



登山口。もちろん誰もいない。山菜採りすらいない。そんな天気。
登山口から登るやいやな、急坂が見えるが、さすがにここでは帰られない。
あまりに早くフーフー言うが、5歳の時から親父に連れられて山菜キノコ採りをしている私。
しょっぱなから根はあげられない。

山に分け入りすぐさま始まる鬱蒼とした山中を進むと、すぐに一合目の標識だ。
この辺はハイキング感覚でどんどん進む。

二合目。まだまだ余裕。

三合目を見つけられず、四合目。
ここまでくるともう全身汗びっしょりだ。
全身の脂肪細胞が燃えているがわかるようだ。
さて、ここからがなかなか大変。

五合目にあるお堂の廃墟の裏から一気に急登が始まる。

まぁこの朽ちたお堂。
壁一面に落書きである。
暗かったし疲れていたので写真は撮らなかったが、歴代のバカ達の落書きにひどさに辟易だ。
かつて海外でも各所で日本人による落書きが問題になったが、この、建造物に自分の名を残したいという気持ちが私にはよくわからない。
しかもこの場所には最近飲んだと思われるペットボトルまで捨てられていた。(帰り道当然拾って帰った。)

急登の途中の六合目だ。
ここで一服。
ここは一気に始まる急登の入り口。
すでにばてている。

登山超初心者の私は、当然ストックも持ち合わせていない。しかし、一昨年のカムロダケ登山でその必要性を強く感じたので、この日は入り口から道に落ちていた太い枯れ枝を折り、二本しっかり持っての登山だった。
そういえば、日本百名山ひと筆書きにチャレンジした田中陽希くん。いつも上手にストックを使っていたっけ。そんなことが脳裏に浮かんだ。
彼の足ならこんな坂をヒョイヒョイと登るんだろうが、私はもう体が重すぎて、まだまだ筋力が重力に負けている。
七合目の標識が死ぬほど恋しい。

ロープがあったりする。
しかも杭が所々倒れてたりする。
それでも上部では掴まずに歩くのは辛い。

写真では全くその斜度が伝わらないが、スキー場に例えると、一瞬立ちすくむくらいの勾配だ。
アルペンスノーボーダーの私でも、カーヴィングが少しきついと思うくらいだ。
そこを下からヒィヒィゼェゼェ悶絶しながら登っていく。ここで挫けたらビリー隊長からも、山ガールの後輩からも笑われる。
死ぬ気で登る。
一気に標高差180mを駆け上る。

なぜか急登終焉・天国の七合目の写真を撮り忘れ…八合目…
急登を登りきり、この辺まで来るとようやく稜線だ。
下から吹き付ける強風に体を持って行かれないように、結構慎重に歩き続ける。

九合目。あと一息だ。水も半分以上無くなっている。
そして強くなってきた雨の中をさらに歩くこと数分。
ついに山頂の山小屋が見えてきた。


十合目、これ、すなわち山頂である。
登り口出発が12時51分。山頂到着が14時02分。行程71分なり。
初めてにしては早い方だと、のちに山ガールからお褒めの言葉を頂く。
山小屋でしばしダイエット食を。
記帳ノートを読んだりして身体を解し、癒すこと15分ほど。
その山ガールの最近のカキコがあったりして、一人の山頂で心温まる。

さぁ!下山だ!
風雨ますます草彅剛!!

下界はおろか、遠く秀麗無比なる山など全く見えない。
それよりも下山道もガスで霞んできた!

途中二度ほど素っ転びながら、自作の杖を頼りに駆け下りる。
案の定、急坂を降りるあたりで前ももが笑い始める。ゲラゲラポー。
カムロダケでも味わったあの辛さ。
ビリーやってかなり鍛えてるはずの前ももなのだが、登山では通用しないのか!!
いや、今はそんなこと言ってる場合じゃない。とにかく雨が強くなってきたので大急ぎで山を降りるんだ!!
クマが出てきたらローリングソバット食らわしてやる気概でどんどん降りる。
途中何度も休みながら。
終わってみればこんなもん。

かえって里山の方が急登が多いのではないか。
昔二回登った出羽の富士は、もっとなだらかだったような気がするが…
その昔、二十歳そこそこの頃、山というものを知らない私は、午後二時を過ぎてから出羽の富士へ登り(しかもツーリングの合間)、案の定、下山中に日没、途中の道で遭難しかけた(しかも賽の河原にて!!)ことがある。
この度その時の写真を発見!


新山には行かず、七高山で終わったようだ。



我ながらツーリングついでに登ってみました!みたいなふざけた写真だと思う。
秋の夕日はつるべ落とし。
この後様々な出来事がありながらも登山口へ生還したのは、辺りが真っ暗になった午後7時。
そして命からがらたどり着いたバイクでワインディングロードを飛ばしてたら、後輪が雨でスリップ。
そのままバイクもろとも10m下の田んぼへ吹っ飛び、全身泥まみれ。
ほとんど夜になると誰も通らない鳥海ブルーラインの麓の道を、まるで幽霊のように彷徨い歩き、車のライトを見つけては手を振り、助けを求めることしばし。
ようやく一台の車が止まってくれて、一緒に坂に引っかかったバイクを引き上げてくれ、ことなきを得たのである。
私はその日二回死んだのだ。
それ以来無計画に出羽の富士には登られないと心に誓った。
今年はそれ以来のリベンジの年になるか。
もう10㎏落としたら真面目に考えてみたいと思う。
羽後塾長、初めて (笑) (爆) (核爆)抜きのシリアス文体でした。
過去記事
実際は激しい雷雨で、山頂からはすぐに退却し、カップは下ってから安全な場所で食べたのだが。

何を血迷ったか、夕方まで少し時間が空いたこの日、近くの「東光山」に急に登ってみることにした。
いや、実はこのとっさの行動には布石があった。
ゴールデンウイークに30年ぶりに会った部活の後輩女子が、数年前から登山に傾倒しており、その数々の投稿をFBでつぶさに見ていたのだ。
少なからず影響されていた。
なにしろその子は高校時代は山などとはかけ離れた、か弱くかわいい女の子だったのだ。
今も当時のまま何も変わらずかわいかったが。
その子が私に言ったのだ。
「まなぶさん、東光山(592m)なら夕方からでも登れるよ」
なんと、登山という本格的なスポーツに、夕方から登れるようなお手軽なものがあるのか。しかも距離的に家からすぐそこではないか。
ならば、最近Billy's boot campの最もきついプログラムもこなしているし、体力試しに登ってみよう!!
と、私の思考回路は昔から実に単純なのである。
朝、そのビリーを軽くこなして、1Kg絞り、その疲労から回復してすぐに準備。
山頂で食べるべく、ブランパンとハムを買い、それに1リットルの水。
これらをウェストバッグに詰め込み、小雨の中いざ東光山へ。



登山口。もちろん誰もいない。山菜採りすらいない。そんな天気。
登山口から登るやいやな、急坂が見えるが、さすがにここでは帰られない。
あまりに早くフーフー言うが、5歳の時から親父に連れられて山菜キノコ採りをしている私。
しょっぱなから根はあげられない。

山に分け入りすぐさま始まる鬱蒼とした山中を進むと、すぐに一合目の標識だ。
この辺はハイキング感覚でどんどん進む。

二合目。まだまだ余裕。

三合目を見つけられず、四合目。
ここまでくるともう全身汗びっしょりだ。
全身の脂肪細胞が燃えているがわかるようだ。
さて、ここからがなかなか大変。

五合目にあるお堂の廃墟の裏から一気に急登が始まる。

まぁこの朽ちたお堂。
壁一面に落書きである。
暗かったし疲れていたので写真は撮らなかったが、歴代のバカ達の落書きにひどさに辟易だ。
かつて海外でも各所で日本人による落書きが問題になったが、この、建造物に自分の名を残したいという気持ちが私にはよくわからない。
しかもこの場所には最近飲んだと思われるペットボトルまで捨てられていた。(帰り道当然拾って帰った。)

急登の途中の六合目だ。
ここで一服。
ここは一気に始まる急登の入り口。
すでにばてている。

登山超初心者の私は、当然ストックも持ち合わせていない。しかし、一昨年のカムロダケ登山でその必要性を強く感じたので、この日は入り口から道に落ちていた太い枯れ枝を折り、二本しっかり持っての登山だった。
そういえば、日本百名山ひと筆書きにチャレンジした田中陽希くん。いつも上手にストックを使っていたっけ。そんなことが脳裏に浮かんだ。
彼の足ならこんな坂をヒョイヒョイと登るんだろうが、私はもう体が重すぎて、まだまだ筋力が重力に負けている。
七合目の標識が死ぬほど恋しい。

ロープがあったりする。
しかも杭が所々倒れてたりする。
それでも上部では掴まずに歩くのは辛い。

写真では全くその斜度が伝わらないが、スキー場に例えると、一瞬立ちすくむくらいの勾配だ。
アルペンスノーボーダーの私でも、カーヴィングが少しきついと思うくらいだ。
そこを下からヒィヒィゼェゼェ悶絶しながら登っていく。ここで挫けたらビリー隊長からも、山ガールの後輩からも笑われる。
死ぬ気で登る。
一気に標高差180mを駆け上る。

なぜか急登終焉・天国の七合目の写真を撮り忘れ…八合目…
急登を登りきり、この辺まで来るとようやく稜線だ。
下から吹き付ける強風に体を持って行かれないように、結構慎重に歩き続ける。

九合目。あと一息だ。水も半分以上無くなっている。
そして強くなってきた雨の中をさらに歩くこと数分。
ついに山頂の山小屋が見えてきた。


十合目、これ、すなわち山頂である。
登り口出発が12時51分。山頂到着が14時02分。行程71分なり。
初めてにしては早い方だと、のちに山ガールからお褒めの言葉を頂く。
山小屋でしばしダイエット食を。
記帳ノートを読んだりして身体を解し、癒すこと15分ほど。
その山ガールの最近のカキコがあったりして、一人の山頂で心温まる。

さぁ!下山だ!
風雨ますます草彅剛!!

下界はおろか、遠く秀麗無比なる山など全く見えない。
それよりも下山道もガスで霞んできた!

途中二度ほど素っ転びながら、自作の杖を頼りに駆け下りる。
案の定、急坂を降りるあたりで前ももが笑い始める。ゲラゲラポー。
カムロダケでも味わったあの辛さ。
ビリーやってかなり鍛えてるはずの前ももなのだが、登山では通用しないのか!!
いや、今はそんなこと言ってる場合じゃない。とにかく雨が強くなってきたので大急ぎで山を降りるんだ!!
クマが出てきたらローリングソバット食らわしてやる気概でどんどん降りる。
途中何度も休みながら。
終わってみればこんなもん。

かえって里山の方が急登が多いのではないか。
昔二回登った出羽の富士は、もっとなだらかだったような気がするが…
その昔、二十歳そこそこの頃、山というものを知らない私は、午後二時を過ぎてから出羽の富士へ登り(しかもツーリングの合間)、案の定、下山中に日没、途中の道で遭難しかけた(しかも賽の河原にて!!)ことがある。
この度その時の写真を発見!


新山には行かず、七高山で終わったようだ。



我ながらツーリングついでに登ってみました!みたいなふざけた写真だと思う。
秋の夕日はつるべ落とし。
この後様々な出来事がありながらも登山口へ生還したのは、辺りが真っ暗になった午後7時。
そして命からがらたどり着いたバイクでワインディングロードを飛ばしてたら、後輪が雨でスリップ。
そのままバイクもろとも10m下の田んぼへ吹っ飛び、全身泥まみれ。
ほとんど夜になると誰も通らない鳥海ブルーラインの麓の道を、まるで幽霊のように彷徨い歩き、車のライトを見つけては手を振り、助けを求めることしばし。
ようやく一台の車が止まってくれて、一緒に坂に引っかかったバイクを引き上げてくれ、ことなきを得たのである。
私はその日二回死んだのだ。
それ以来無計画に出羽の富士には登られないと心に誓った。
今年はそれ以来のリベンジの年になるか。
もう10㎏落としたら真面目に考えてみたいと思う。
羽後塾長、初めて (笑) (爆) (核爆)抜きのシリアス文体でした。
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