本荘 一力 シャンタン麺と昔話
Categoryらーめん
ちょっと用があり実家まで行ったついでに食堂一力さん。
いつもは味噌ラーメンなのですが、今日は毛色の違ったものを…。
「シャンタン(上湯)麺」 ¥600

長年通ってますが初食です。
イメージが全く湧かず、どんなラーメン?と聞いたら「豚骨みたいな…」とお答えが。
調べてみたらシャンタンとは豚、鶏、牛などの一番出汁のことを言うみたいですね。
でもね、スープ一口飲んだらものすごくしょっぱかったので、速攻割りスープお願いしましたよ^^;
そしたらしっかりとした鶏豚スープでしたなぁ。
うまかったですよ~。
ちなみにお椀こ一つスープもらい、全部入れてもまだしょっぺがった(笑)
ここで一句
「転んでも 只では起きぬ 羽後塾長」 (爆)
さて、ここからはFB未記載文。
この一力さん。
実家のすぐそばにあります。

私が小学生の頃に開店したと記憶しています。
お店の場所は佐藤病院の真ん前、まさにin front of Sato hospitalでした。
佐藤病院には一般食堂が無いため、いつも病院に訪れた人で混んでおりました。
その後、母校・「右文尚武」高校が桜小路から現在の陣場岱に移ったことで、後輩たちも学校帰りに寄るようなお店になっていったものと思われます。

(現在の右文尚武高校)
もっとちなみに、今本荘高校がある陣場岱(じんばだい)というところは、その昔牧場でした。
陣場(陣を取る場所)に山の上の湿原を意味する「岱」ですから、その昔は本当に湿原があったのかもしれません。
間違っていたらそれこそ失言ですね(掛爆)
所有者はわかりませんが、その牧場を営む方の家が一軒のみポツンとあり、牛豚などが放牧されていた広大な丘陵地だったと記憶します。
おそらくこのことを知っている者は本荘市民でも数少ないと思われます。
ではなぜ私が記憶しているのかというと、その昔ここでしょっちゅう悪い遊びをしていたからであります。
と言っても誰かをボコったとか、小学生同士で5分間の殴り合いをしたといった話ではありません (掛爆)
ここはちょっとした小高い山になっており、そこへ登って行く道は、冬になると私にとって最高のプライベートゲレンデになったのであります。
今の後輩たちは「桜坂」などとシャレオツに名付けられた舗装道路を毎日通って通学していますが、40年ほど前は、ここで鼻を垂らしながらゴムでちょこっとだけ足を固定したスキー板を履いて、物凄い形相で直滑降の練習をしている悪ガキがいたのであります(笑)

(現在の桜坂)
そしてたまにはコースを外れ、左下にある中堤に転落しかかったこと数知れずなのであります (笑)
幸い堤は結氷するので、溺れず助かったこともあります。
その氷の上を忍者よろしく歩いてドボンとやり、ずぶ濡れになったことくらいは男の子なら誰でも一度くらいあるのでは?(笑)
そして夏になると、獣こそ通れど人っ子は一人も通らないその山道で、ダイナマイトの実験をやったこともあります (爆)
おもちゃ屋で爆竹を大量購入して、それを一つ一つバラして火薬を取り出し、ちょうどブルボンのバームロールくらいの紙筒に詰め直した上に、導火線もかなり長く延長し、土に埋めて点火、その破壊力を試したものであります (爆)
結果は実にショボいもので、煙だけ盛大に出た後は、しゅーー”ぽん”と言うだけでした (笑)
これはおそらく紙筒の強度に思いっきり原因があったものと思われますが、これをこうすれば良いと知ったのは大人になってからです (笑)
もちろん大きくなってからは威力のあるものは作っていませんよ!
そんなことしたらすぐ捕まります(爆)
これはみんな鼻垂らしのガキ時代にやったことですから時効ということでお願いします。
爆竹と言えば、友人に火のついた爆竹を指先で持たせ、それをどれくらいギリギリまで持っていられるかといった度胸試しを「させた」ことがあります。
もちろん私はやりません (爆)
何度かリリースタイミングに失敗した友人は、指先でバーンとやってしまい、それはそれは痛がってました(笑)
もちろん指はなんともありませんよ。爆竹くらいの爆発力では火傷も怪我もしませんから。
繰り返しますが、私はやりません(爆)
やらせるオンリーでした(笑)
そんなこんなで、現在の母校があるところは私の秘密の遊び場だったのであります。

さて、一力さんに戻ります。
昔、うちではお客さんが来ると出前を取ることが多く、そこで一番利用したのがこの一力さん、次にマイフェイバリット味噌の三平さんでした。
一力さんは電話で「林平(当時父が営んでいた洋服仕立屋の店名)です」と言えばものの15分くらいで配達してくれましたし、三平さんなどはいまだに私の名前を林平だと思っている節があります (笑)
それだけうちにお客さんも来ましたし、それだけ出前も頼んだものでありました。
配達料もかからないし、なにより自宅で熱々のラーメンを”ただで”食べられる…。思えば良き時代でした。
さてここでこれをお読みの皆様にお尋ねします。
出前で取ったラーメンの丼。食後は玄関前に置いておくと思いますが、その丼を洗剤で洗いますか?それともそのまま洗わずに置いておきますか?
以前このことで付き合っていた彼女と意見の相違で揉めたことがありまして(笑)
ちなみに我が家では「洗う」派でした。
さてさて、どこのブログとは申しませんが、今日はそこと同様に脱線しまくりでした (爆)
なお、この日は移動距離が短すぎるため「どさでもドア」は道に落ちてませんでした(核爆)
いつもは味噌ラーメンなのですが、今日は毛色の違ったものを…。
「シャンタン(上湯)麺」 ¥600

長年通ってますが初食です。
イメージが全く湧かず、どんなラーメン?と聞いたら「豚骨みたいな…」とお答えが。
調べてみたらシャンタンとは豚、鶏、牛などの一番出汁のことを言うみたいですね。
でもね、スープ一口飲んだらものすごくしょっぱかったので、速攻割りスープお願いしましたよ^^;
そしたらしっかりとした鶏豚スープでしたなぁ。
うまかったですよ~。
ちなみにお椀こ一つスープもらい、全部入れてもまだしょっぺがった(笑)
ここで一句
「転んでも 只では起きぬ 羽後塾長」 (爆)
さて、ここからはFB未記載文。
この一力さん。
実家のすぐそばにあります。

私が小学生の頃に開店したと記憶しています。
お店の場所は佐藤病院の真ん前、まさにin front of Sato hospitalでした。
佐藤病院には一般食堂が無いため、いつも病院に訪れた人で混んでおりました。
その後、母校・「右文尚武」高校が桜小路から現在の陣場岱に移ったことで、後輩たちも学校帰りに寄るようなお店になっていったものと思われます。

(現在の右文尚武高校)
もっとちなみに、今本荘高校がある陣場岱(じんばだい)というところは、その昔牧場でした。
陣場(陣を取る場所)に山の上の湿原を意味する「岱」ですから、その昔は本当に湿原があったのかもしれません。
間違っていたらそれこそ失言ですね(掛爆)
所有者はわかりませんが、その牧場を営む方の家が一軒のみポツンとあり、牛豚などが放牧されていた広大な丘陵地だったと記憶します。
おそらくこのことを知っている者は本荘市民でも数少ないと思われます。
ではなぜ私が記憶しているのかというと、その昔ここでしょっちゅう悪い遊びをしていたからであります。
と言っても誰かをボコったとか、小学生同士で5分間の殴り合いをしたといった話ではありません (掛爆)
ここはちょっとした小高い山になっており、そこへ登って行く道は、冬になると私にとって最高のプライベートゲレンデになったのであります。
今の後輩たちは「桜坂」などとシャレオツに名付けられた舗装道路を毎日通って通学していますが、40年ほど前は、ここで鼻を垂らしながらゴムでちょこっとだけ足を固定したスキー板を履いて、物凄い形相で直滑降の練習をしている悪ガキがいたのであります(笑)

(現在の桜坂)
そしてたまにはコースを外れ、左下にある中堤に転落しかかったこと数知れずなのであります (笑)
幸い堤は結氷するので、溺れず助かったこともあります。
その氷の上を忍者よろしく歩いてドボンとやり、ずぶ濡れになったことくらいは男の子なら誰でも一度くらいあるのでは?(笑)
そして夏になると、獣こそ通れど人っ子は一人も通らないその山道で、ダイナマイトの実験をやったこともあります (爆)
おもちゃ屋で爆竹を大量購入して、それを一つ一つバラして火薬を取り出し、ちょうどブルボンのバームロールくらいの紙筒に詰め直した上に、導火線もかなり長く延長し、土に埋めて点火、その破壊力を試したものであります (爆)
結果は実にショボいもので、煙だけ盛大に出た後は、しゅーー”ぽん”と言うだけでした (笑)
これはおそらく紙筒の強度に思いっきり原因があったものと思われますが、これをこうすれば良いと知ったのは大人になってからです (笑)
もちろん大きくなってからは威力のあるものは作っていませんよ!
そんなことしたらすぐ捕まります(爆)
これはみんな鼻垂らしのガキ時代にやったことですから時効ということでお願いします。
爆竹と言えば、友人に火のついた爆竹を指先で持たせ、それをどれくらいギリギリまで持っていられるかといった度胸試しを「させた」ことがあります。
もちろん私はやりません (爆)
何度かリリースタイミングに失敗した友人は、指先でバーンとやってしまい、それはそれは痛がってました(笑)
もちろん指はなんともありませんよ。爆竹くらいの爆発力では火傷も怪我もしませんから。
繰り返しますが、私はやりません(爆)
やらせるオンリーでした(笑)
そんなこんなで、現在の母校があるところは私の秘密の遊び場だったのであります。

さて、一力さんに戻ります。
昔、うちではお客さんが来ると出前を取ることが多く、そこで一番利用したのがこの一力さん、次にマイフェイバリット味噌の三平さんでした。
一力さんは電話で「林平(当時父が営んでいた洋服仕立屋の店名)です」と言えばものの15分くらいで配達してくれましたし、三平さんなどはいまだに私の名前を林平だと思っている節があります (笑)
それだけうちにお客さんも来ましたし、それだけ出前も頼んだものでありました。
配達料もかからないし、なにより自宅で熱々のラーメンを”ただで”食べられる…。思えば良き時代でした。
さてここでこれをお読みの皆様にお尋ねします。
出前で取ったラーメンの丼。食後は玄関前に置いておくと思いますが、その丼を洗剤で洗いますか?それともそのまま洗わずに置いておきますか?
以前このことで付き合っていた彼女と意見の相違で揉めたことがありまして(笑)
ちなみに我が家では「洗う」派でした。
さてさて、どこのブログとは申しませんが、今日はそこと同様に脱線しまくりでした (爆)
なお、この日は移動距離が短すぎるため「どさでもドア」は道に落ちてませんでした(核爆)
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