YAMAHA FZ250 Phazer素人レストア記 3
CategoryFZ250 Phazer
1985年という年は激動の年でありました。

まずは先にも書きました闇将軍「田中角栄」先生が腹心「竹下登」による創生会の結成による心労にて倒れ、事実上の政界引退。
電電公社からNTTが発足、上越・トーホグ新幹線開通に、つくば博、豊田商事事件に三浦和義逮捕、夏目雅子さんが亡くなれば白洲次郎さんもお亡くなりに。

個人的に一番嬉しかったのは我が阪神タイガースの21年ぶりの優勝ではありましたが、やはり一番悲しかったのが日航機墜落事故でありました…
その痛ましさについてはここで言及するまでもありませんが、坂本九さんもお亡くなりになるし、こともあろうに阪神タイガースの社長、中埜肇さんもこの機に乗り合わせてお亡くなりになりました。
ですから、この年の阪神タイガースの優勝は亡き社長に捧げる選手皆んなの悲願の優勝であったのです。
ちなみに、私の叔父(故人)も、予定ではこの便に登場することになっていたと云います(あくまで本人談)。
明石家さんまや、ほか著名人数名この日航機に搭乗予定だった方がおられると聞きます。
生死を分けるのは、一体なんなんでしょうね。。。。
また、1985年は自分にとっても激動の一年でありました。
夏休みが終わる頃、またフェーザーに乗って帰京。
しかしながら、当時住んでいたアパート(と言っても名ばかりで実は間借り人でした)の大家バアさんがなんとも表裏のあるお方で、ある日私は聞いちゃったのです。
私を部屋から追い出そうとする計画を…(苦笑)
私は当時借りていた部屋の押し入れで寝起きしていたのです(ドラえもん風)
するとある朝、ご近所のどなたかとヒソヒソ話をしているのです。
薄い壁一枚でその密談は私に筒抜け(爆)
「今のねぇ、借りてる方ねぇ、そりゃひどいのよ…以下省略」
詳細については昔のブログで書いたような気もするので、ここでは割愛です!
夏休み後に戻ってみたら、私の部屋だったところは空っぽ、代わりに廊下へダンボールがドサッと・・ということで
はい、私、間借り人から、見事にホームレスへ堕ちるのでありました (核爆)

(↑はイメージです)
こんな時、やはり普通免許は取っておくべきだったと痛感。
引っ越しするにも業者に頼むゼニは無し。
そして軽トラでも借りて運転しようにも免許も無し。
ほぼ四面楚歌。絶望的でしたが、捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。
高校の親友・花形充くんが私の窮状を聞きつけ、颯爽と軽トラを借りてくれて引っ越しを手伝ってくれたのです!
とりあえず私の行く先のない荷物をこっそりと公務員の官舎へ格納?隠蔽?するお手伝いをしてくれたのでした(時効爆)
「千鳥ヶ淵、月の水面振り向けば、屋根の上に光るタマネギ~♫」でしたなぁ(懐涙)
数日間はこっそりとその官舎で息を潜めて生活したような記憶がありますが、もう37年前の記憶は混濁しており、はっきりしません。
ちょうどその時、官舎には同い年の熊本県出身のH田君という肥後もっこすがおり、ひょんなことで仲良くなり、彼のカワサキGPZ400Rにニケツさせてもらったことがあります。

排気量はわずか150ccの違いながら、フェーザーとは圧倒的なパワーの差を感じたものでした。
これが750ならどんなもんだろう…と想像さえできないくらいの力強さでした。
しかしボンビー学生は、車検のあるバイクなど保有できるはずもなく、その後数十年、今に至るまで250の壁を越えられないでおります。

(↑写真はまだ間借り人だった時にライブを見に行った「友川かずき」さんとの打ち上げにて。
貧乏学生ということで、飲み代をタダにしてもらいました(激感謝))
さて、話を住居問題に戻します。
その後紆余曲折あり、先の軽トラで物を運んでくれた花形充くんのアパートへ仮住まいすることとなります。
足立区でした。
とんねるずのロケでよく使われた長い滑り台があるでっかいプールがありました。
二人でよく「熊ぼっこ」というラーメン屋さんに行ったものです。
ここのカツライスがめちゃめちゃ美味しかった記憶があります。
調べたら二代目に引き継がれて、現在も経営されているようです!(嬉!!!今度上京したら行かねば!!)
(Rettyより)
学校帰り、フェーザーを買った東上野付近ではよく信号待ちをしました。
そこで二輪停止線(←今これ全国で絶滅の危機にあるらしい・・)の前に当時の第一線のバイクたちが横一線に並びます。
もちろんその中に私とフェーザー君もおります。
赤信号から青へ変わる瞬間は、さながらゼロヨンのスタートと同じ状況なのであります(笑)
中には"ウィリー"・ウィリアムスをして飛ばすバカもおりましたよ(笑)
s.jpg)
はい、あえて写真を間違えてますね。
まぁ37年の歴史で、お二人とも亡くなってしまわれたのでその追悼という意味で。。。
そんな中、やはり2ストは早かった…
型落ちのRZ250、スズキガンマにはよく置いて行かれたものです。
ですが、次第に信号ダッシュに慣れ始め、さながらマリオカートのロケットスタートのようにタイミング良く回転を上げると、16,000のレッドゾーンまで一気に吹け上がるフェーザーは、間違いなく当時の2ストを次の信号までは先行逃げ切るのでありました。
いや、たぶん向こうが全力を出してなかったのかも知れません。
それはわかりませんが、少なくともVT250Fなんざ、遥か後方に置き去りにする力をフェーザーは持っておりました!
そんなことを毎日のように繰り返して足立まで帰るのでありました。
こんなこともありましたなぁ・・・
ある日のこと、花形くんを職場に送るために4号線を都内に向かっていたときであります。
いつも通る三ノ輪交差点まで来た時のことです。
注意して侵入したつもりがしっかり交番に立っていた警官に警笛を鳴らされ、停止誘導…
お巡りさん曰く…
「今、信号何色に見えた?(タメ口)」
自分「黄色だったと思います(馬鹿正直バカ)」
「そう?それなら黄色信号無視だね~。あれ?まだ二輪免許取ってから一年経ってないね?それならば二人乗りはできないよ」
「学生だからかわいそうなのでどっちか一つの違反に負けてあげるよ」(←この時、この警官が神様に見えた)
そこで私は人生初の検挙に動揺していたのか、花形君を早く職場に送り届けなければいけなくて焦ったのか、とにかく冷静な判断をできないでおりました。
その結果選んだ違反は…
「黄色信号無視」
馬鹿な青年はわざわざ違反点数も反則金も高い方を選んだのであります(核自爆)
お巡りさんもほくそ笑みながら、その辺のことは教えてくれません(←まだこの段階ではこのお巡り、神だと思っている)
後から調べて初めて信号無視の方がほぼ倍の違反ということを知りますが、時すでに遅し(自爆)
この違反後、なぜかあっという間に軽微な違反が続き、累積6点となりこれまた初めての免停・・・・・
まぁ思えば、ゼロヨンみたいなことを繰り返し、よくぞまぁ車に突っ込んだり、人をはねたりしなかったと思えば、この免停は神からの啓示だったのかもしれません。
その後、花形くんとは数ヶ月ほど蜜月を過ごしますが(爆)、ある日彼から信じられない一言が発せられるのですが・・・・・
そのことについてはまたの続きということで・・(笑)
フェーザーのレストアは何処へ行った??
もう少しだけ超個人的な80年代のお話にお付き合いませ(爆)
なにせ書いていると当時の記憶が次々に蘇ってきてしまいましたので(笑)

まずは先にも書きました闇将軍「田中角栄」先生が腹心「竹下登」による創生会の結成による心労にて倒れ、事実上の政界引退。
電電公社からNTTが発足、上越・トーホグ新幹線開通に、つくば博、豊田商事事件に三浦和義逮捕、夏目雅子さんが亡くなれば白洲次郎さんもお亡くなりに。



個人的に一番嬉しかったのは我が阪神タイガースの21年ぶりの優勝ではありましたが、やはり一番悲しかったのが日航機墜落事故でありました…
その痛ましさについてはここで言及するまでもありませんが、坂本九さんもお亡くなりになるし、こともあろうに阪神タイガースの社長、中埜肇さんもこの機に乗り合わせてお亡くなりになりました。
ですから、この年の阪神タイガースの優勝は亡き社長に捧げる選手皆んなの悲願の優勝であったのです。
ちなみに、私の叔父(故人)も、予定ではこの便に登場することになっていたと云います(あくまで本人談)。
明石家さんまや、ほか著名人数名この日航機に搭乗予定だった方がおられると聞きます。
生死を分けるのは、一体なんなんでしょうね。。。。
また、1985年は自分にとっても激動の一年でありました。
夏休みが終わる頃、またフェーザーに乗って帰京。
しかしながら、当時住んでいたアパート(と言っても名ばかりで実は間借り人でした)の大家バアさんがなんとも表裏のあるお方で、ある日私は聞いちゃったのです。
私を部屋から追い出そうとする計画を…(苦笑)
私は当時借りていた部屋の押し入れで寝起きしていたのです(ドラえもん風)
するとある朝、ご近所のどなたかとヒソヒソ話をしているのです。
薄い壁一枚でその密談は私に筒抜け(爆)
「今のねぇ、借りてる方ねぇ、そりゃひどいのよ…以下省略」
詳細については昔のブログで書いたような気もするので、ここでは割愛です!
夏休み後に戻ってみたら、私の部屋だったところは空っぽ、代わりに廊下へダンボールがドサッと・・ということで
はい、私、間借り人から、見事にホームレスへ堕ちるのでありました (核爆)

(↑はイメージです)
こんな時、やはり普通免許は取っておくべきだったと痛感。
引っ越しするにも業者に頼むゼニは無し。
そして軽トラでも借りて運転しようにも免許も無し。
ほぼ四面楚歌。絶望的でしたが、捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。
高校の親友・花形充くんが私の窮状を聞きつけ、颯爽と軽トラを借りてくれて引っ越しを手伝ってくれたのです!
とりあえず私の行く先のない荷物をこっそりと公務員の官舎へ格納?隠蔽?するお手伝いをしてくれたのでした(時効爆)
「千鳥ヶ淵、月の水面振り向けば、屋根の上に光るタマネギ~♫」でしたなぁ(懐涙)
数日間はこっそりとその官舎で息を潜めて生活したような記憶がありますが、もう37年前の記憶は混濁しており、はっきりしません。
ちょうどその時、官舎には同い年の熊本県出身のH田君という肥後もっこすがおり、ひょんなことで仲良くなり、彼のカワサキGPZ400Rにニケツさせてもらったことがあります。

排気量はわずか150ccの違いながら、フェーザーとは圧倒的なパワーの差を感じたものでした。
これが750ならどんなもんだろう…と想像さえできないくらいの力強さでした。
しかしボンビー学生は、車検のあるバイクなど保有できるはずもなく、その後数十年、今に至るまで250の壁を越えられないでおります。

(↑写真はまだ間借り人だった時にライブを見に行った「友川かずき」さんとの打ち上げにて。
貧乏学生ということで、飲み代をタダにしてもらいました(激感謝))
さて、話を住居問題に戻します。
その後紆余曲折あり、先の軽トラで物を運んでくれた花形充くんのアパートへ仮住まいすることとなります。
足立区でした。
とんねるずのロケでよく使われた長い滑り台があるでっかいプールがありました。
二人でよく「熊ぼっこ」というラーメン屋さんに行ったものです。
ここのカツライスがめちゃめちゃ美味しかった記憶があります。
調べたら二代目に引き継がれて、現在も経営されているようです!(嬉!!!今度上京したら行かねば!!)

(Rettyより)
学校帰り、フェーザーを買った東上野付近ではよく信号待ちをしました。


そこで二輪停止線(←今これ全国で絶滅の危機にあるらしい・・)の前に当時の第一線のバイクたちが横一線に並びます。
もちろんその中に私とフェーザー君もおります。
赤信号から青へ変わる瞬間は、さながらゼロヨンのスタートと同じ状況なのであります(笑)
中には"ウィリー"・ウィリアムスをして飛ばすバカもおりましたよ(笑)
s.jpg)
はい、あえて写真を間違えてますね。
まぁ37年の歴史で、お二人とも亡くなってしまわれたのでその追悼という意味で。。。
そんな中、やはり2ストは早かった…
型落ちのRZ250、スズキガンマにはよく置いて行かれたものです。
ですが、次第に信号ダッシュに慣れ始め、さながらマリオカートのロケットスタートのようにタイミング良く回転を上げると、16,000のレッドゾーンまで一気に吹け上がるフェーザーは、間違いなく当時の2ストを次の信号までは先行逃げ切るのでありました。
いや、たぶん向こうが全力を出してなかったのかも知れません。
それはわかりませんが、少なくともVT250Fなんざ、遥か後方に置き去りにする力をフェーザーは持っておりました!
そんなことを毎日のように繰り返して足立まで帰るのでありました。
こんなこともありましたなぁ・・・
ある日のこと、花形くんを職場に送るために4号線を都内に向かっていたときであります。
いつも通る三ノ輪交差点まで来た時のことです。
注意して侵入したつもりがしっかり交番に立っていた警官に警笛を鳴らされ、停止誘導…

お巡りさん曰く…
「今、信号何色に見えた?(タメ口)」
自分「黄色だったと思います(馬鹿正直バカ)」
「そう?それなら黄色信号無視だね~。あれ?まだ二輪免許取ってから一年経ってないね?それならば二人乗りはできないよ」
「学生だからかわいそうなのでどっちか一つの違反に負けてあげるよ」(←この時、この警官が神様に見えた)
そこで私は人生初の検挙に動揺していたのか、花形君を早く職場に送り届けなければいけなくて焦ったのか、とにかく冷静な判断をできないでおりました。
その結果選んだ違反は…
「黄色信号無視」
馬鹿な青年はわざわざ違反点数も反則金も高い方を選んだのであります(核自爆)
お巡りさんもほくそ笑みながら、その辺のことは教えてくれません(←まだこの段階ではこのお巡り、神だと思っている)
後から調べて初めて信号無視の方がほぼ倍の違反ということを知りますが、時すでに遅し(自爆)
この違反後、なぜかあっという間に軽微な違反が続き、累積6点となりこれまた初めての免停・・・・・
まぁ思えば、ゼロヨンみたいなことを繰り返し、よくぞまぁ車に突っ込んだり、人をはねたりしなかったと思えば、この免停は神からの啓示だったのかもしれません。
その後、花形くんとは数ヶ月ほど蜜月を過ごしますが(爆)、ある日彼から信じられない一言が発せられるのですが・・・・・
そのことについてはまたの続きということで・・(笑)
フェーザーのレストアは何処へ行った??
もう少しだけ超個人的な80年代のお話にお付き合いませ(爆)
なにせ書いていると当時の記憶が次々に蘇ってきてしまいましたので(笑)
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