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YAMAHA FZ250 Phazer素人レストア記 1

CategoryFZ250 Phazer
1985年4月、東京は東上野。

当時は都内一のバイク街。

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(写真は当時のイメージ画像。モーサイさんからお借りしました)


そこへ一人のバイク好きの田舎モンが訪れ、いきなり店頭に置いてあったYAMAHA FZ250 Phazerフェーザーを購入したのでありました。

まだ東京の右も左も分からぬ18歳の大学1年生。

なんとその時、彼は中型免許はおろか、小型免許も無し、持っていたのは3月に取った原付免許だけ。

つまりは購入してもそこから乗って帰ることもできず、後日アパートに配送してもらうと言う契約でありました。

後日、約束通りの日時にトラックに積まれて到着したフェーザー。

当時は今のようにスマホカメラもありませんから、その時の模様はきっと彼の頭の中にしか残っていないでしょうが、待ちに待ったフェーザーの到着に、心躍ったイチ青年の満面の笑顔が浮かんでくるではありませんか!



はい、その青春真っ只中にいた初々しい青年は今や55歳のくたびれ始めたオッサンと相成りましたが、その時のフェーザーに約17年ぶりに火を入れ、再度公道を走らせようという計画が2年前から始動。

買った時にはこの世に影も形も無かった息子の協力も得て、この度ついにジェットサウンドが復活したという「フェーザーレストア」の記録物語、開始であります👏



正直に言うと、私は幼かった頃からバイクが好きというわけではなく、むしろスーパーカーブームど真ん中世代としては、四輪の方に興味がありました。

ところが高校生の時のある日、父親がどこからかホンダの「ドカバイ(通称)」(土方が乗るバイクの短縮)を持ってきて、家に置いたのであります。

それを夜中にこっそりと引っ張りだし、ノーヘル(当時は合法)で夜の街を無免許運転で走ったことで、一気に単車への熱が噴き出したのでありました。

その後、天網恢恢疎にして漏らさずという諺通り警察に一度御用となりますが(若気の至り苦笑)一度乗った二輪の魅力が忘れられず、高校卒業と同時に原付免許を取得、公道を堂々と走ることが可能になりました。

普通ならば、高校卒業時には就職・進学いずであれ流れ的に普通免許を取るのでありましょうが、都内に進学することになった私には普通免許は不要であり、まずは原チャリ免許の方が実用的だったのであります。

始めは50CCでも満足していた二輪熱ですが、やはり乗って一ヶ月も経つと少しでも大きいものに乗りたくなるのは人間のサガでしょう。

もう毎日バイクのカタログをガン見し、東京で走らせるバイクを何にしようと考える毎日が続きました。

当初は非常に乗りやすいと評判でバカ売れしていたホンダのVT250が第一候補でした。

実際都内ではこのバイクがうじゃうじゃ走っていました。道路に石を投げればVTに当たると言っても過言ではないほどでした(盛ってません、事実です)

確か誰かのVTをちょっと借りて駐車場がどこかで乗らせてもらったことがあったとうっすら記憶してしていますが、やはりアクセルレスポンスが非常に滑らかで、これぞホンダのバイクといった印象でした。

でも自分にはなんか大人しすぎて、これだ!とは思えませんでした。

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(↑先のモーサイさんに載っていた写真。スズキのγガンマも大人気だったなぁ)



そんな時でした。

YAMAHAからとんでもない250が出たのは!

それがこのフェーザーです。

Phaze フェーズに(e)rを付け「章を開く者」それがPhazerです。

昨今、フェザーと記す人がおりますが、それは発音的にも間違いですし、何よりフェザーとはYAMAHAが後年に発売するFZ1のこと。

巷ではこの誤記表記があまりにも多くて辟易とします。

ヤフオクなどでもタイトルに堂々とフェザーと記述して出品している業者も多く、当時を知る者としては残念でなりません…

だってスクーターのことをスクターとか、名画シェーンをシェン、アメリカのアーカンソー州をアカンソー州なんて言ったらあーかんぞでしょう (爆)

ハリウッド映画のシェーンがいきなり中華のつまらんチープな映画みたいになってしまうでしょ?(爆)

名前の呼び方は棒(長音符)一本抜かすだけで全く変わってしまうのですから気をつけていただきたいことであります。

まぁ、そんなオッサンの愚痴はさておき、このバイクの登場時の衝撃は自分にとって凄いものがありました。

一番驚いたのがなんと言ってもそのエンジンの回転数。

4ストバイクとして当時の常識を覆す16,000回転からのレッドゾーン。

(これにより当時信号待ちダッシュで負け知らずの2スト車を打ち負かさんくらいのスタートダッシュが可能になりました。実際体験するのは免許取ってからですが…)

そしてそのデザインセンス。

ネイキッドかフルカウルが全盛だった当時のバイクシーンに鮮烈な印象を与えた流れるようなハーフカウルデザイン。

そしてそして、私を購入へ決意させたのはフェーザー特有の「音」でありました!

街中を走るフェーザーの音は一際歩行者の目、耳?を惹きました。

一瞬でわかるその「ヒューン」という音は、それまで全く聞いたことのない音であり、未来の訪れを感じさせるほど素晴らしいものでした。

発売当時は消費税も無い良い時代。

それでも新車は49万9千円。

貧乏大学一年生が仕送りで生活する中、とても買える金額ではありませんでしたが、もう欲しいと思ったら止まらない性格上、なんとかなるべ!と思って先の東上野へと走ったのでありました。

結果、無事に母親名義でクレジットを組むことができ、無免許ながらも憧れのフェーザーを手に入れることができたのであります。(すねかじり)



(当時の部屋にて。迷い猫を飼ってしまったこともこの後の悲劇につながります…)


さて、話は戻り、当時は原付免許しか持っていなかった自分が次にすることはもちろん中型免許の取得です。

あちこち悩みましたが、金額的に安かった郊外の自動車学校へ通うことにしました。

「武蔵小金井自動車教習所」だったと思います。
武蔵小金井とは、宮本武蔵には子供がいなかったということで付いた地名だと云います。武蔵、子がいねい (もちろん大嘘爆)

中央線一本で向かえるし、少し田舎の方が教官も親切なのでは無いか?と訳のわからぬ推測のもと、門をくぐったのが1985年6月くらいのことでしたか。

教習はほぼ順調に進みましたが、今とは違ってYouTubeもなければWEBでコツを調べることもできません。

案の定、一本橋で一度つまずきました。

それでもめちゃくちゃ乗りやすいCB400。

その後はスルスルと進み、夏休み前にめでたく中免を得るに至りました。

やっとアパートのスペースにカバーをかぶって待機していたフェーザーにまたがり、公道を走ることができます!

何よりの夢は、このバイクで秋田まで帰省すること。

その前に学校までなんちゃら街道を走ったりなんだりと慣らし運転。

いざ迎えた夏休み初日、準備万端で関越自動車道・練馬入り口へと走りました!

そのあまりにも広い入り口に、田舎モンのニイチャンは一瞬たじろぎますが、そんな不安を感じていた最中、背後にいたパトカーからいきなり「練馬ナンバーのバイクー!◯✖️△~!」と叫ばれますが、後半の部分が聞き取れないほど胸は昂っていました。

聞き取れなかったのでそのまま走行しましたが、止められなかったし、その後そのパトカーはどこかに消えていったので、自分的には「気をつけてな~!」と言ってくれたものと信じております(笑)

そしていざ人生初の高速一人走行開始!!

免許を取って堂々と高速に乗れることと、自宅へ帰って旧友たちと遊べるという喜びで、胸の高まりを抑えることができませんでした!

(続く)

っか、レストア記になってないじゃんというクレームは要りません(爆)
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